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3月・
コロナで自粛だし、退職したから新年度も関係ないし、
実に虚しい3月を迎えています。
だから、どうしよう、こうしようと悩んでいるわけでもなく、
穏やかでまったりした毎日を過ごしている老人初心者です。
先日書いた記事で、
子供の頃に受けた「いじめ」を思い出してしまったので、
認知症で忘れないうちに書いておくことにしました。
別に忘れてしまっても全く問題はないことだし、
誰かに訴えたい、その時の当事者たちの伝えたいわけでもなく、
ただ、ただブログネタとして書いているときに
感慨にふけりたいだけの妙なオヤジです。
。
いじめは中学校の時がいちばん陰湿で激しかった。
父親が転勤族でしたから、小学校は3校と目まぐるしい生活でしたが、
それでも中学校はなんとか1校で済みました。
しかし、それが余計にいじめを助長されることにもなったようです。
田舎の漁師町で男子はみんな気性が荒く、よそ者は受け付けない、
そんな気質だったのに、愚かにも仲間に入ろうとした私。
それなりに仲良く遊ぶこともできたのですが、
必ずと言っていいほどに周期的にいじめられるのです。
誰もいない図工室に上級生に呼びつけられ、殴られ、蹴られ・
そんなに生意気な中学生ではなかったと思うけどなぁ・
家の隣りに神社の大きな鳥居があって、
その鳥居の50~60m先には数人の中学生がいて、
同学年か上級生かはまったく記憶にないけど、
いきなり連中から石を投げつけられた 。
家に駆けこんだとはず・と思うけど、
何がどうして、こんな状況になったのかはわからない。
あまりにもショッキングな出来事に石が飛んでくる場面以外は
すべて記憶が飛んでしまったようでした。
人に向かって石を投げつける・ ・
1960年代の学生運動や安保闘争じゃないんだから・
それから、なぜか川原での 上級生との決闘事件 もありました。
仲間は同学年5人ほどだったと思いますが、
どうして私がこの決闘に加わることになったのかは
まったくもって不明です。
昔、「真昼の決闘」という映画があったのを思い出しましたが、
決闘場所に行ったら、こっちは5人なのに上級生は13人・
なぜか人数だけはしっかり覚えているのが不思議です。
誰が決闘を企画?したのかわかりませんが、
卑怯すぎませんか・
最初からわかっていたら、いくらバカな私でも絶対に行かないし・
1対2以上の劣勢になすすべもなく、殴られっぱなし・
テレビドラマや映画で一発殴られただけで
思いっきり体が後ろに吹っ飛ぶシーンがよくありますが、
あれは決して誇張しているわけではなく、
本当に飛ぶことをこの決闘で知りました。
その相手の家は魚屋さんで普段から家の仕事を手伝っていたのか、
体は小さいけれど、相当な力持ちだったのでしょう・
飛ばされたシーンは鮮明に残っています。
でも、いじめや乱闘は中学だけでおしまい。
高校からはいじめられることもなくなり、
普通の高校生で過ごすことができました。
転勤してきた・というだけでターゲットにされたと書きましたが、
彼らが私を目の敵にしたのは、
「転勤してきた教師の息子」だからでした。
田舎の漁師町の荒くれたちには絶好の標的だったわけです。