大地震で思い出すのは亡き父のこと

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土曜日深夜の東北の大地震には驚きました。

朝目覚めてすぐに、iPadでニュースを見て知ったのですが、

また大災害か・と身の毛がよだつ思いがしました。

誰もが10年前の大災害を思い出したでしょう。

 

私の父が亡くなったのもちょうど10年前、あの東日本大震災の翌月のことでした。

そのせいかどうしても大震災と父のことが一緒に思い出されてしまいます。

この時にはすでに前職をこの3月末日に退職することが決まっていて、

その退職直後の訃報でしたから、葬儀その他にも支障は一切なく、

役所の手続き的なことも再就職するまでに終えることができました。

 

また、父の死を報告する会社もなくなったわけですから、

よくある経営者や上司、同僚からの香典などにお返しする面倒?もなくなり、

人付き合いの苦手な私には、とてもいいタイミングでした。

父には悪いけれど・・

 




 

堅物の父だった・と私は思っていましたが、

いま私が父が退職したときと同じ年齢になってみると、

決して堅物ではなかったのだろう・と感じるようになりました。

 

私の兄弟それぞれ、違う父の印象を持っていると思いますが、

私には恐い父親像しか記憶にありません。

でも、こうして歳を取ってみると、

私がいま思っていること、感じていること、していること・

時代は違っても父も同じように生きていたのだろうと想像してしまうのです。

 

ちょっと前に高校を出たばかりのような時代錯誤的な感覚 や、

面倒なことはしたくない、楽して得取れ・的なこと

異性に対するいやらしい気持ち だって

私と同じように持っていたかもしれない。

人には決して言えないことも一つや二つ持っていたかも・

決して聖人君子ではなかった・と思うのです。

 

私の奥さんや他の兄弟にこんなこと言ったら、

月とスッポンだよっ!・と腹を抱えて笑われるのは目に見えていますが、

私が父の域に達してきた・と言う意味ではなく、

父にもそんな愚かな面もあったんではないか・と思っただけなのです。

 

父の退職後にも前任地の人が

わざわざ愚痴を聞いてもらいにくることもあったようです。

農家の人は取れたての野菜も届けてくださって、

それが若い頃の我が家にもおすそ分けしてもらっていたのです。

 

北海道の風景

 

私の子供の頃から、よく父の同僚の人たちが家に飲みに来ることがありました。

田舎町でしたから、飲み屋さんに行くより、

同僚の家をはしごすることが多かったようです。

 

居間を占領されてしまった私たち兄弟はテレビを見ることもできないし、

うるさくて勉強することもできないので、

隣りの部屋で酔った大人の会話を盗み聞きしていたものです。

そして帰ったと思ったら居間に飛び出して、

母が作った酒のおつまみを漁る卑しい兄弟たちでしたね。

 

父は酒が飲めない人でしたが、よくもあの怒号飛び交うような修羅場を

声を荒げることもなく、ひたすら耐え続けていたと感心したものです。

ただ一度だけ、私は目撃していませんが

 

そんなに文句があるなら、シラフの時に来いっ!

 

・と大声をあげたことがあるそうです。

やっぱり怖い父です。

 

私が中学生になった頃に

懸賞付き年賀はがきの当選番号をチェックすることを任されるようになりました。

覚えているだけでも年賀状は200枚以上

大きなテーブルの上にはがきを並べて順にチェックしていくのです。

 

それに比べて、今の私の年賀状は10ちょっと・

テーブルに並べなくても簡単にチェック完了します。

月とスッポン、提灯に釣鐘ですね。

 

そんな父がこの世にいなくなって10年です。

この年齢になって初めて、父の偉大さだけではなく

絶対に愚かな面もあったはず・ と親しみを持って思えるようになりました。