十年一昔といいますから4昔も前のことです。
北海道からサービス業に従事することを夢見て、花の東京へ出て行った 田舎っぺ がなんとか仕事にありつけたのは奇跡だったかもしれません。
サービス業といっても多種多様ですが、私が目指していたのは 旅行会社 と ホテル関係でよくあるパターンです。安易に憧れるせいか途中離脱者も非常に多いのです。
それなりに旅行会社の社員ですから、気分的にも有頂天になって、知識もないのにベテランっぽく振る舞って、お客からチクっと痛いところを指摘されると落ち込むことの連続でした。
その落ち込みも数日するとケロッと忘れてしまうものですから始末に負えない。
群馬県の我妻渓谷(あがつまけいこく)をあづまと言ってしまった時は添乗なんか放り出してバスから降りてしまいたくなりましたね。
バスの中で
今、どのあたりを走っているんですか?
・と質問されて、咄嗟に外の表示を見たのをお客は見逃さない・
いま、外見たでしょっ!
そしてみんなで大笑い・
いじめですよね。
入社一年目で知識もないのですから大目に見てほしいと思っても、お客にしたら新米でも添乗員は添乗員なのですから仕方がないことですが。
極端な言い方をすればお客全員の命を預かっていると言っても過言ではありません。
大人数をバスや列車、飛行機に乗せるのも
簡単なことではないのです。
海外旅行ならなおさらのこと。
飛行機が欠航になったり、遅延になったり・
酷いところでは宿泊するホテルがなかったりもします。
予約確認書 もすぐ近い某国ではなんの意味もありません。
ただのメモ用紙です。
そして添乗員をまるで 召使い か 執事 のようにこき使うお客がいるのです。
真夜中でも電話で起こされるし、あれ食べたいから買ってきて!もあります。
勝手に現地手配した女性とトラブルになったのにどうして添乗員が呼ばれるの?
そんなことが何十回、何百回と積み重なって今の精神状態になってしまったのだと思います。お客と向き合って打ち合わせもできないようになってしまいました。
思いついたことを列記して見ましたが、それでもまだしつこくサービス業に従事している私もどうかしていますね。
今まで一年だけ全く違う業種に勤めたことがありますが、やっぱり自分のいる場所ではないような気がしていました。
それももう少しで、あと数ケ月で終わりになると思います。
苦しめられたサービス業ですが、これしかできなかった自分を褒めてあげたい。
応援よろしくお願いします。