夏が過ぎた頃に息子が 静岡 に転勤になり、ほっとしているオヤジたちですが、静岡というところがあまり馴染みがなく、こりゃ、一度行かなくては・と来年を楽しみにしています。
オヤジは若い頃、東京で働いていた時から静岡と言えば 富士山 と 伊豆半島 くらいしか思いつきません。
伊豆は東京からちょっと行ったところで、静岡はそのまたちょっと先・
そんな感覚でいましたが、静岡市は東京と名古屋のちょうど真ん中に位置しているんですね。
驚きました。
浜松 なんか静岡市よりの東京に近いと思っていた無知なオヤジです。
本州の人が札幌~函館間が1時間くらいで行けると思っているようなもんです。
今、オヤジたちがしようとしていることを大昔に経験しています。
まだ20代前半だったころ、亡き父と母が東京に揃ってやってきたことがあります。
父の会合出席に母も同行していたように記憶していますが、友人の運転で 東京タワー や 明治神宮 を巡った証拠写真も残っています。
田舎者の親たちを得意げに連れまわしていたようです。
あとはどこに行ったのか、それだけ?
当時は親の気持ちなんて考えることもなかったけれど、どんな気持ちでいたのでしょうか・
お金だってたんまり持って来ているだろうからとなんでも払わせたような気がします。
身内のことを思いやる気持ちなんかまったくなかったし、身内にはわがまま言い放題を決めつけていた愚かな者でした。
口には出さなかったけれども特に父は 失望 していたかもしれませんね。
父が亡くなって8年、そして今年母が亡くなりました。
クリスチャンではありませんでしたがいま画像のように我が家にいます。
母の四十九日と納骨が終わったらすっかり秋になっていましたが、妙に身辺の風通りが良くなったような気がします。
納骨が済んでまだ二十日しか経っていないのに一人で暮らしている兄の様子が気になったり、しばらく他の兄弟とも会っていないような気になったり・
束ねていた母がいなくなった証しでしょうか・
兄弟みんながそれぞれにどこかに飛んで行ってしまって、ハイさよなら・となるかもしれない。
母が存命のときには何カ月も兄に会わなくても平気だったのに不思議なものですね。