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クリスチャン になってから16年になりますが、どのくらい成長したかと言えば情けないことに幼稚園児レベルと言わざるを得ません。
祈ること、聖書を読むこと、礼拝を守ることなどクリスチャンに課せられた義務?規律?、いやイエス様の教えはたくさんありますが、どれをとっても満足に誇れるものではありません。
聖書を最初から最後まで読み切ることを 通読 と言いますが、読むだけならと一心不乱に読んだこともただの自己満足に過ぎなかったのかもしれません。
一字一句を深く読み取ることもせずに、小説を読み進む感覚でいたように思います。
聖書を読む前にはこう祈ります。
愛する天の父なる神様
どうぞ私の目を開いてください。
私があなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。
アーメン
何回通読した・と自慢するためだけに夢中になっていたのでしょうね。
目を留めるどころか目が泳いでいたように思います。
クリスチャンはよく祈ります。
外国映画でよく見かけるのは食事の前に祈るシーンですが、誰かのために、世界平和のために祈る敬虔なクリスチャンもいれば、私のように自分の周りのことだけしか祈らない未熟者もいます。
一生懸命に 聖句 を覚えて、聖書全体を丸暗記しているような人もたくさんいて、とても私にはできないことだとホトホト情けなく思いながらも、こんな未熟者でも 私が神様を選んだのでなく、神様が私を選んでくださった と思える出来事がたくさんあります。
プロテスタントの教会には 牧師 がいます。神父さんではありません、牧師です。
生まれ故郷を離れ、知らない国でキリストの教え(福音)を伝える 宣教師 を兼ねている牧師もたくさんいます。
私が初めて教会に足を踏み入れたその日は、その教会にとっては何十周年かのとても大事な日でして、玄関前で やっぱり帰ろうかな・ と躊躇していたものですが、こんな大事な日に導かれたことにも大きな力を感じます。
しばらくして牧師先生に学びを受け始めることになり、早朝に教会や牧師先生の自宅などでマンツーマンで教えていただきました。
その牧師先生は韓国から来られていた宣教師でとても親切にしていただきましたが、学び途中で帰国されることになり、この牧師先生から洗礼を授けていただくことはできませんでした。
この教会はたくさんの宣教師が代わる代わる訪ねてくる 強い教会 でして、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アメリカからの宣教師や宣教グループに会うこともできました。
クリスチャンとしては素晴らしい経験となっています。
何度目かに教会に行った時の昼食会のときの会話で、はっきり覚えていることが
何かを感じるでしょう?
よくわからないけど何かを感じるでしょ?
・と年配の教会員の方から言われたことです。
当時はほぼわかりませんでしたが今はなんとなくわかります。
いままでいつも共に歩いていてくださったこと。
すべてのことを守り導いてくださったこと。
これからも共に歩んでくださること。
いつかまた日曜礼拝で牧師先生の説教を聞ける日を神様が整えてくれることを期待しています。
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