子供の頃から親しんでいたスポーツがスキーです。まだスノボがなかったずっと昔の話です。田舎ばかりに住んでいましたから、大きなスキー場とはあまり縁がなく、地元の山の草木を切り倒して造ったコンディション最悪のスキー場で毎日のように滑っていました。
当然リフトがあるわけでもなく、頂上まで少しずつカニ歩きのように登って行って、一気に滑り降りてまた登る・これの繰り返しでしたが楽しくて楽しく・
スキーさえあればお金がかかることはないわけですから、一日中遊んでいられます。
小さな山小屋みたいなところでストーブに当たって、持ってきたおにぎりを食べるのも楽しみでした。
昔のスキー板に付いているビンディングが今と違っていて、表現しづらいのですが輪状になったワイヤーみたいなものが必要だったんです。そのワイヤーで靴とビンディングを固定していました。
そのワイヤーを落とさないように首に下げて、スキー場に着いたらセットするようにしていたのです。
こちらのFBに画像がありましたのでお借りしました。
ある日のことです。バスに乗って隣町のスキー場に行ったのですが、スキー場に着いて首に下がっているはずのワイヤーが無いことに気づき呆然としたことがありました。家に忘れてきたようですが、バス代を払ってスキー場まで行って、滑らずにバスに乗って帰ってきました。
泣きたくなりました・、子供の頃だったから泣いていたかもしれませんね。
東京に出たからも友人とスキーに行く機会はありました。
今度は有名なスキー場ばかりです。
群馬県の草津温泉国際スキー場がなぜか一番多かったように記憶しています。
自分のスキーを持つことはなくいつもレンタルスキーを利用していました。
車は持っていませんでしたからスキーを担いで列車に乗ることも面倒で、レンタルだと気楽に出かけることができました。
地元に帰ってきてからも今度は姉の子供たち、甥と姪を連れていくことになりました。
地元でもきちんとリフトがある大きなスキー場です。
私が人並みにできるのはスキーくらいかもしれません。
次は私の息子が大きくなったので家族みんなで道具を揃えて挑戦することになりました。息子も奥さんもだんだん上手になってきて、リフトを使って上のゲレンデを目指します。
ある日の夕方でした。第1リフトからさらに第2リフトまで行って降りてくるつもりがなんと第2リフトの営業が終わっていました。
第1リフトから滑っていくところはこのスキー場の壁と呼ばれるところでかなりの急斜面で息子と奥さんでは降りていくことはできません。おまけに下からゲレンデを整える雪上車が登ってくるではありませんか・
アナウンスを聞き逃してしまったのかもしれません。
思い切って上方50mほどにある道路までの斜面を登ることにしました。
かなりの斜面ですが、あのカニ歩きで横向きに一歩づつ・
息子も奥さんもよく頑張りました。私がいちばん体力を消耗してしまったかもしれません。
なんとか雪上車に追いつかれることもなく、無事に道路にでることができました。
あとはゆっくりと暗くなってきた山道を下っていって、麓に着いたときにはドッと疲れが出たことを覚えています。でも、いい想い出になりました。
すっかり大人になった息子は今でもスキーを楽しんでいるようです。
時々Facebookに白馬や蔵王とか画像を載せていますので羨ましいくらいです。
私が教えたスキーをいつか自分の子供に教えることでしょう・
時代は確実に回っているようですね。
私がこれからスキーを再開しても骨折して寝たきりになるのが関の山ですから、ひたすらPCに向かってブログを書くことに専念します。
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